Stacyの日記

時事ネタを中心に日常でふと思ったこと

財務次官と女性記者

約1ヵ月前に世間でセクハラ案件として話題になった財務次官と女性記者の会話について、幾つか思うところがある。

まず、財務次官は女性記者との性的な関係を期待していたのか。これは財務次官本人にしか分からないが、女性記者は性的な関係を求められていると感じていたようだ。私の印象だと、財務次官には性的関係を結ぼうという意図はなく、しつこい女性記者を追い払うため嫌がらせのために性的な発言を繰り返していたように感じる。

財務次官の性的発言が女性記者を追い払うための嫌がらせだと仮定すると、それはまあまあ上手くいっていたようだ。女性記者は財務次官の性的発言が不快で、上司に対策を講じて欲しいと願い出たのは、財務次官担当を外して貰いたかったからだろう。

財務次官の嫌がらせの手段が性的発言で、しかも公開された録音は下品極まりなく、国家公務員キャリアのトップとして情けないとは思った。

一方で、女性記者の側の問題も感じる。酒の席で酔わせて、若く綺麗なことを武器に特ダネを引き出そうという戦略はレベルが低すぎないか?この戦略が上手くいかず、特ダネが取れずにいるなら、取材方法を変更するという選択はなかったのか?上司に相談していたのに、上司は取材方法について別のやり方を勧めることはできなかったのか?

女性記者が取材方法を変えられず、酒の席で性的発言をやり取りを続けたことについて考えると、学業成績が優秀だった若くて綺麗な女性が社会に出て始めて直面する壁の存在に思い当たる。

数年前、電通の女性社員が自殺した時も思ったことだが、学生時代は男女という区別はあってもジェンダーによって成績が変わることは稀で、殆どが男女同じ基準で採点されて成績を付けられる。稀に女性が男性教員に色仕掛けで単位を貰ったという噂があったり、就職に影響するからと相対評価の結果を男性に有利にしたり(女性の就職は結婚までの腰掛けだが、男性は将来にわたって家庭の収入を得る必要があるという理由で正当化)、不公平なこともあるが、学生時代の成績に性差が影響することは殆どないといって良いだろう。

しかし、社会は違う。業界にもよるが、若さや器量の良さは女性の武器と見做されがちだ。そのことに最も無自覚で戸惑うのが、学業成績が優秀で若くて美貌な女性自身なのだと思う。

学業成績が優秀でない女性は、学生時代から学問以外に売りになる自分の資質を検討し、器量と社会的評価について学んでいる。学業成績が優秀だと、容姿の良し悪しについて自覚はあっても成績には影響がないので、容姿が社会的評価に及ぼす影響について無頓着になる傾向があるように思う。

自分の恵まれた容姿が社会的評価を上げることにナイーヴな女性が企業に就職し、その企業が女性の容姿を売上げに貢献する要素だと考える時、何が起こるだろうか。

そういう企業は若く容姿の優れた新入社員の女性に、容姿を武器にした仕事のやり方を教えるのではないか?例えばクライアント側の女好きなオヤジの担当にして、飲み屋でお酌をさせて歓心を呼ばせることで売上げに繋げるといった昭和なやり方だ。

一方、これまで女性ということが学業成績に影響を与えたことがなく、自分の容姿と社会的評価の関係性に無頓着で、自分の容姿を武器にしようと考えたことがない女性本人がそんな扱いを受けたら戸惑うだけだろう。学生時代は自分と同じような成績だった同期の男性社員がいれば尚更、理不尽な思いを強くするのではないか。

財務次官の担当だった女性記者は、他の男性記者同様の取材方法を教えて貰っていたのだろうか?その点が一番気になっている。