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Stacyの日記

時事ネタを中心に日常でふと思ったこと

ありがた迷惑な寄付

熊本地震被災者への物資の寄付について、過去の被災者から「こんな物はいりません」と不要物リストがネット上に出ている。使用済みの下着や生鮮食品などが挙がっていて、納得しながらリストを見ている、

そして思い出すのが子供の頃の苦い思い出だ。

日本テレビで毎年夏に放映されている「24時間テレビ」では寄付を募っていて、放映時間中に日本武道館に寄付金を持参することが奨励されていた。テレビでは小銭が詰まった瓶を持参した自分と同年代の小学生が映り、タレントから直接お礼の言葉を受けている。自分は日本武道館までは行けないけど、募金をしたいと思うようになった。

取り敢えず、その夏から空き瓶に小銭を貯め始めた。1年後か、それとももっと後か、よく覚えていないが、募金するのに恥ずかしくないくらいの小銭が貯まった夏、「24時間テレビ」の放映日が来た。できれば日本武道館に持参したかったが、連れて行ってくれそうな大人は周囲にいなかったし、自力で行くというアイデアもなかった。テレビでは振込でも寄付ができると、振込先を何度もアナウンスしていたので、私はメモを取り、銀行振込をすることにした。

「24時間テレビ」は土日の放映なので、その直後の月曜だったと思うが、小銭の貯まった瓶を抱えて銀行に行った。場所は日本武道館ではなく、ベッドタウンの駅前にある小さな銀行の窓口であったが、日本武道館に寄付金を持参してタレントに褒められる小学生の姿を自分に重ねていた。

しかし現実はイメージとは違う。銀行の窓口のお姉さんは、小銭の詰まった瓶を見て、心底面倒臭そうな顔をした。そして振込依頼書の用紙を渡し、メモしてきた振込先の記入箇所と私の住所・氏名・電話番号の記入箇所を示し、更に瓶に入った小銭を数えて振込金額を記入するようにと指示した。一旦窓口を離れ、瓶に入った小銭を数えながら、こんなはずではなかったと思いつつ、言われた通りに記入し、事務的に振込を終えた。

想像していたイメージとかけ離れた寄付行為のことを反芻しながら家路についた。日々、寄付を必要とする人達のことを考えながら小銭を貯めるのは美徳かもしれない。貯まっていく小銭は、自分の良心が目に見える形になったものだ。でもそれは単なる自己満足でしかない。受け取る側は小銭だろうが札束だろうが構わす、金額こそが重要なのだ。そんな結論に達して帰宅したことを覚えている。

小銭を貯める習慣がついてしまって、その後も暫くは空き瓶に小銭を貯めていた。翌年の夏も振込で寄付をすることにしたが、窓口に行く勇気は出ず、ATMの硬貨口を使って送金した。

小銭を意気揚々と銀行窓口に持参した自分の独善さを思い出すと、今も苦い気持ちになる。