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Stacyの日記

時事ネタを中心に日常でふと思ったこと

社会運動について

先週、とある社会運動団体の中で起きたレイブ未遂事件についてネットで話題になった。はてなブログにも取り上げられていて、運動の目的のために個人の被害はなかったことにするという集団の判断に疑問を感じたりした。

その後、あのブログは自発的に書かれたものではなかった、事件を報じた雑誌のステマだった、といったネタも明かされ、私の頭では誰が何をして何が問題なのか理解不能になった。ただ、自分の私的な目的のために他人を操ろうとする行為は醜悪だと感じた。

私自身も社会運動のような活動をしたことがある。社会全体に対してではなく、小さな組織の中で意見が対立した時、一方の側に賛同して意見交換の場に参加したというだけだ。

結果は私が支持した側の意見は聞き入られずに終わった。その運動は負けた訳だが、負けたという結果だけでなく、その運動の過程から私は虚しさを感じていた。最後の方は運動からも離れ、結果も人伝に知ったくらいだ。

何が私を虚しくさせたかというと、運動に参加している人達の呉越同舟な様子だった。私はその組織の意思決定が不透明であることや、その意思決定に基づいて行われる行為が組織の死に繋がる気がして反対の立場にいた。しかし、同じ運動に参加する人の中には、相手側に気に入らない人がいるという理由しかない人もいた。また、同じ立場ではあるものの、自分の意見が百パーセントただしいと疑わず、相手を思慮の足りない馬鹿者扱いする人もいた。相手を馬鹿にしていた人は、交渉の場でも発言の端々に相手を軽んじるニュアンスを含ませ、相手をますます頑なにさせていったように記憶している。

今では運動を共にした人達とは疎遠になっている。相手方とも関係にシコリができ、今は全く交流がない。運動に参加したことで得るものなどなく、失ったものばかりだったと思う。