Stacyの日記

時事ネタを中心に日常でふと思ったこと

芸能人の引退

芸能人が友人の裏切りに心痛し引退するという。薬物疑惑のある中、突然の引退宣言だ。

薬物疑惑については素人には判断しかねるが、友人の裏切りについては共感する点もある。

そもそも引退騒動の発端は写真週刊誌のスクープだ。コカインを吸っている姿が写真週刊誌に掲載されていたという。

当該の芸能人は、この写真を見れば、誰が撮ったのか分かるだろう。その場にいたのは限られた人だろうし。そうしたプライベートな写真が公になるというのは、当事者にとって衝撃だろう。

私は公人ではないが、例えば友達同士、少人数の集まりの様子が公になった場合のことを想像する。その場に居合わせたのは、ほんの3〜4人。その後、その場のとあるショットが公にされたとすると、写真はその3〜4人の誰かがタレこんだことが容易に推察される。そして、その写真を見れば、誰が撮ったかは分かりそうだ。そして、彼(彼女)が写真誌に売りつけたのかと愕然とするだろう。

違法な薬物のこと云々の前に、プライベートな写真を横流しされたことのショックは分かる気がする。

スマホを新調

週末、スマホを手に道を歩いていたら、手が滑って固い地面の上にスマホを落してしまった。見た目は無事で、どこも欠けいないのに、スイッチがビクともしない。スマホが起動せず、しばらく呆然としてしまった。

取り敢えずカフェに入り、コーヒーを飲みながら考えた。修理すべきか、それとも新機種を買ってしまうか。

30分ほど考えてから買い直すことに決めた。

私のスマホはSIMフリーなので、キャリア系の機種は使えない。すぐに手に入るか不安だったが、あっさり買えた。

起動しないスマホからSIMカードとSDカードを移し、後は粛々と各種設定をした。アプリをダウンロードする時、PlayストアにIDを入力したら、以前ダウンロードしたアプリ一覧が表示された。もう使っていないアプリはダウンロードしないことにし、残りをダウンロードしていく。

旧機種が起動すれば、新旧のスマホ同士をBluetoothで繋いで旧機種から新機種にアプリやデータを移行できるらしいが、私の旧スマホは動かないので断念した。

アプリをインストール後、幾つかのアプリではログインが必要になったが、パスワードは全く覚えておらず、パスワードの再発行をして何とかログインし、日曜の夜までに新スマホの環境は整った。

画面の様子が以前とは異なり、まだ違和感があるが、少しずつ慣れてくるだろう。ポケモンGOは、旧機種では起動に時間がかかり、ログインできないことも多かったが、新機種ではサクサク起ち上がる。

スマホのデータ移行には時間もかかり、多少イライラしたが、無事に移行でき、どのアプリも正常に動いている。買い直して良かった!

旧スマホには2年間お世話になった。感謝しつつお別れだ。

金縛り〈その2〉

一昨日、金縛りの原因ってなんだろう?と書いた後、ウェブで検索したら、すぐ解決した。

金縛りは、ノンレム睡眠とレム睡眠のリズムが崩れて起こる症状らしい。

そして、ノンレム睡眠とレム睡眠のリズムの乱れは、体内のオレキシンという物質の欠乏で起こるとのこと。

このオレキシンの欠乏の原因を探りたいと思う。私は3才時点で金縛りを経験しているので、後天的要因より、元々の体質がオレキシン不足の原因なのかもしれない。

質の良い睡眠が取れれば、日中の業務で生産性が高まるのではないかと期待している。

ポリティカル・コレクトネス

トランプがアメリカの次期大統領に選出されてから、「ポリティカル・コレクトネス」という言葉を目にするようになった。ポリティカル・コレクトネスとは、偏見や差別をなくし、公平で公正な社会にしようという啓発活動だと私は解釈している。

ポリティカル・コレクトネスを直訳すれば「政治的な正しさ」となろう。私が初めてこの言葉を知ったのは平成の初期で、デーブ・スペクターが訳した『政治的に正しいおとぎ話』が出版された時だ。新聞に書評が出ていて面白そうだと読んでみたが、私には面白いとは感じられなかった。その頃公開されたアメリカ映画の「アメリカン・ビューティー」を観た時も感じたのだが、何だか息苦しいのだ。

偏見は差別をもたらすし、特定の属性の人達が差別によって不当に扱われ、社会的に排除されるのは不公平だと思う。アファーマティブ・アクションによって被差別者を優遇し、社会の中心を構成する人達と同じスタートラインに立たせることは当然だとも思う。でも、属性としては社会の中心にいるとされながら、不利な状況にいる人達にとっては、アファーマティブ・アクションが適用されている人達が下駄を履かされて有利な地位を確保していることに不満を持つことも分かる気がする。

トランプの勝利は、行き過ぎたポリティカル・コレクトネスへの反発を顕在化したという論考は一理あると思う。

偏見も差別も良くないという絶対正義を、人々が息苦しく感じることなく、社会に浸透させていくにはどうしたら良いのか。

金縛り

久しぶりに金縛りにあった。土曜の昼過ぎ、ソファでうたた寝していたら、意識はあるのに体が動かない状態になった。手を動かしたいと思っても動かせない。そのまま再び眠りに落ち、次に目覚めたときは普通に起きることができた。

私が初めて金縛りにあったのは3才の頃だ。まだ幼稚園にも行っていなかった。ある朝、目が覚めて、母が台所仕事をしている様子や姉が幼稚園に行く準備をしている様子は分かっているのに、体が動かなくて、声も出なくて、気持ちは焦るのに目を開けることすらできずにいた。

その後も何度か同じようなことが起き、意識は眠りから覚めても体が眠ったままで、意識と身体がアンバランスなのだろうと理解するようになった。再び眠れば、そのアンバランスが解消され、すっきり起きることができることも分かり、金縛りが起こっても何としても体を動かさなければ、と焦ってもがくこともなくなった。

小学校の高学年になったころ、その現象が「金縛り」と呼ばれることを知った。金縛りの体験談は霊的な現象を伴うことが多いようだが、私の場合は怖いことは一切なかった。布団の上に重みを感じたこともないし、足元に誰かの気配を感じたこともない。単に寝起きの際の意識と身体が調和していないだけだ。

この金縛りが何故起こるのかは不明で、誰かに教えてもらいたいと思っている。疲れなのか、何なのか。

奨学金

返済義務のある奨学金か、それとも返済なしの給付型奨学金か。

奨学金についての議論はずっと耳にする。

私は日本育英会や他の団体の奨学金を受給していた。日本育英会の奨学金は貸与であり、利子はなかったものの、返済義務があった。社会人になってから10年以上に亘り返済した。

今の制度はよく知らないし、負担も私の時代とは違うのかもしれない。

私の時代は、応募して、書類審査を通り、グループ面談を経て、更に返済義務があると何度も確認を取られ、保証人を二人つけた上で申請し、やっと承認された。

貸与を受けて、「こんなに奨学金の返済義務がある」と訴えている若者を見ると、貸与を受けるとき、保証人をつけるとき、返済義務があることを知らされていなかったのだろうかと不思議に思ってしまう。

孤独感

あと10日で12月。日に日に寒さも厳しくなっている。暑い時より寒い季節には孤独感も増してくる気がする。

若い時、ひどく孤独を感じたことがある。今も孤独を感じると、その当時のことを思い出し、「でもあの時よりマシ」と自分を慰める。

あの孤独感は何だったのだろうか。喪失感とも違う。

寂寥感というか、虚無感というか。

孤独感を感じさせる人と一緒にいるくらいなら、一人ぼっちでいい。